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仙台地方裁判所 昭和62年(ワ)591号 判決

原告

佐々木元子

原告

秋山茂喜

右両名訴訟代理人弁護士

菅野敏之

被告

東京海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

松多昭三

右訴訟代理人弁護士

荒中

田中登

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  申立

原告らは、「被告は原告佐々木元子、同秋山茂喜に対し、各金一一二五万円及びこれに対する昭和六二年一月三〇日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行宣言を求め、被告は主文同旨の判決を求めた。

第二  主張

一  請求原因

1  訴外千葉吉夫(以下、「千葉」という。)は、昭和六一年八月二一日、被告との間において、原告佐々木元子(以下、「原告佐々木」という。)の為にすることを示して、保険契約者を原告佐々木、保険者を被告、被保険者を原告佐々木の長男佐々木和彦(以下、「和彦」という。)とするパーソナルベストプラン保険契約(積立ファミリー交通傷害保険兼普通傷害保険)を締結した(以下、右契約を「本件保険契約」という。)。右保険契約の内容は、積立ファミリー交通傷害保険の期間は昭和六一年八月二一日から同六六年八月二一日までの五年間、普通傷害保険の期間は昭和六一年八月二一日から同六二年八月二一日までの一年間とし、右各期間内に被保険者和彦が死亡又は後遺障害が発生した場合には保険金を二二五〇万円を限度として和彦の法定相続人に支払うというものであった。

2  原告佐々木は昭和六一年七月初旬頃千葉に対し、保険会社等と和彦を被保険者とする生命保険契約締結の代理権を与えていた。

3  原告佐々木と千葉とは昭和五九年一二月頃から夫婦の実質を有する内縁(準婚)関係にあった。民法七六一条の類推適用により、内縁関係の当事者は相互に日常家事についての代理権を有するところ、本件保険契約は「日常家事」の範囲に属する。

4  原告佐々木は、昭和六三年四月一四日の本件口頭弁論期日において、仮に右2、3の事実がいずれも認められず、本件保険契約の締結が千葉の無権代理によるものであるとすれば、予備的に無権代理の追認をする旨の意思表示をした。

5  和彦は昭和六一年九月五日に死亡した。

6  和彦の父である原告秋山茂喜(以下「原告秋山」という。)及び原告佐々木は和彦の法定相続人(法定相続分は各自二分の一)である。

7  よって、原告らは被告に対し、本件保険契約に基づき、それぞれの法定相続分一一二五万円及びこれに対する和彦死亡の後である昭和六二年一月三〇日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は、原告佐々木の為にすることが示されたとの点を否認し、その余は認める。

2  同2の事実は否認する。

3  同3の原告佐々木と千葉が夫婦の実質を有する内縁関係にあったとの事実は否認し、原告らの見解は争う。本件のごとき傷害保険契約を締結することは民法七六一条にいう日常家事に該当しない。

4  同5、6の事実は認める。

三  抗弁

1  公序良俗違反

原告佐々木は、同人を請求者、同人の次男佐々木豊(以下、「豊」という。)を被拘束者、千葉外一名を拘束者とする人身保護請求事件(仙台地方裁判所昭和六一年(人)第二号。以下、右事件を「別件争訟」という。)において、具体的事実を挙げて、千葉が和彦に本件保険契約を掛け、殺したのだと思う旨供述しているのであって、右供述に現れた事実を前提とすれば、本件保険契約は千葉において不正の目的をもって締結したものという外なく、公序良俗に反し無効である。

2  遡及保険

本件保険契約に適用される傷害保険普通保険契約約款(以下、単に「約款」という。)一四条三号によれば、保険契約締結当時「保険契約者または被保険者がすでに事故またはその原因が発生していたことを知っていたとき」は、保険契約は無効であるとされている。これは、商法六四二条と同じく、保険の本質的要件でありまた大前提でもある保険事故の偶然性を担保し、偶然性のない事故に対しては保険金が支払われないことを明らかにしたものである。

ところで、無権代理によって締結された保険契約は、本人によって追認の意思表示がなされるまで少なくとも有効ではなく、追認によって始めて遡及的に有効とされるものであるから、追認行為は実質的には新たな保険契約の締結と同視し得る。従って、追認行為についても右約款の規定及び商法の右法条が準用されるべきである。

本件において追認の意思表示がなされたのは原告らにおいて保険事故の発生を知った後である以上、右約款及び商法の右法条の準用により、追認は無効である。

3  権利濫用ないしは信義則違背

(一) 原告佐々木は、千葉の従前の生活態度、言動から、千葉が和彦を殺したものと確信しているとして、別件争訟において右事実をこと細かに主張、立証した。

(二) 同人は本件においても、「和彦は千葉に多額の保険金を掛けられ殺されたんだと思う。」旨明確に供述している。

(三) にもかかわらず同人は本件ではあたかも本件保険契約が公序良俗に反しない目的をもって締結されたかのごとく主張し、追認の意思表示をした。しかし、これは矛盾した主張というべきであり、社会通念上かような主張は許されるべきではない。

(四) 故に、別件争訟において右のような主張を行い、その立証活動を行った原告佐々木において、千葉の無権代理につき追認の意思表示を為すことは社会通念上許されず権利濫用ないしは信義則違背と言うべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1は争う。

本件保険契約自体には何ら公序良俗に反する点はない。原告佐々木は、千葉との間の子豊を同人に取り上げられると思い、夫婦喧嘩状態の中で感情的になって、お互いに罵りあったに過ぎないのであり、その主張や供述等はあくまでも推測の域を出ていない。

2  同2は争う。

本件追認行為は、新たな保険契約の締結ではなく、既に締結され存在している保険契約の効果の帰属を認めるかどうかというだけの問題である。したがって、約款一四条三号及び商法六四二条の適用ないし準用はない。

3  同3は争う。

原告佐々木は和彦の死亡事故の原因について分ってはおらず、従来主張してきた内容は同人の推測のみに基づくものであって、確信の根拠があったわけではない。訴外千葉が原告と同棲していながら前の妻と再び同棲を始めたり、その他の女性と肉体関係を持ったりしたことが分ったため、感情的になったに過ぎないのである。

ましてや和彦の死亡が千葉の殺人行為に基づくものであることの証明は何もない。また、原告佐々木が殺人行為に荷担している等の事実があったのであれば、背信行為であると言われても仕方のないところではあるが、原告佐々木にはそのような行為は全くない。即ち、原告佐々木には本件保険契約を無効にするような背信行為は何ら存しないのである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因について

1  請求原因1の事実中、顕名の点を除いては当事者間に争いがない。

そこで顕名の有無について判断するに、民法九九条は、代理人が代理行為をなす場合には「本人ノ為ニスルコトヲ示シテ為」すべきものと定め、顕名を要件としているところ、その趣旨は、行為の効果が行為者以外の者(本人)に直接に帰属するものであることを行為の相手方に知らせるところにある。したがって、右趣旨に鑑みれば、代理人が自己の名を明示せず、本人の名のみを示していたとしても、行為の際の諸事情から判断して代理行為である趣旨が明らかであれば、相手方に不測の不利益を及ぼす恐れはないから、顕名の要件を認めることができる。そこで、本件において、代理行為である趣旨が行為の際の諸事情から判断して明らかと言えるか否か検討するに、〈証拠〉によれば、本件保険契約は千葉が被告の取扱代理店佐藤正己(以下、「佐藤」という。)と交渉し、佐藤に同契約の申込書を交付したこと、右申込書には、申込人として原告佐々木の住所氏名が記入されていること、両名は本件保険契約締結以前から旧知の関係にあったこと、佐藤は千葉から同人と原告佐々木との間に子供があることを聞いていたこと、以上の事実を認めることができる。右事実によれば、被告の取扱代理店である佐藤に対しては千葉が原告佐々木のために本件保険契約を締結する趣旨が明らかにされていたと解すべきである。したがって、本件においては顕名の事実の存在が認められる。

2  代理権授与の有無につき判断するに、原告佐々木はその本人尋問において、「千葉から全労済のこくみん共済以外にも保険を掛けるとの話を聞いており、話を聞いた当時は肯定も否定もしなかったが、結果的にはこれを承諾した。」旨供述し、また乙第三七号証(別件争訟における千葉の供述書(二))には、「……東京海上の保険のことも元子に話をして掛けたものです。」との記述部分があるが、右供述及び記述は、別件争訟における審問期日において、裁判長の質問に対し原告佐々木自身が「私の全く知らない間に、吉夫が、和彦の死亡する二週間位前にその保険に加入したものです。」と明確に供述していた事実(これは乙第三九号証により認められる。)及び同趣旨の陳述書(乙第一一号証)の記載内容に照らし、たやすく信用することができず、他に代理権授与の事実を認めるに足りる証拠はない。したがって、千葉が本件保険契約を締結したのは無権代理行為であるといわなければならない。

3  日常家事代理権の主張につき判断するに、民法七六一条は、日常家事に関して生じた債務につき取引の相手方たる債権者を保護するための規定であるから、これに基づく主張をなしうるのは取引の相手方に限定されるのである。それ故、夫婦の一方が他方のなした法律行為の効果の帰属、しかも帰属するのは債権である旨を主張するのは同条の全く予定しないところであり失当であると解すべきである。のみならず、本件の如き保険契約の締結が日常家事に属するとはいい難い。したがって、その余の点について判断するまでもなく、右主張は理由がない。

4  原告佐々木が本件において無権代理行為追認の意思表示をしたことは訴訟上明らかな事実である。

二抗弁について

1  〈証拠〉によれば以下の事実が認められる。

(一)  原告佐々木は、旧電電公社(現NTT)の電話交換手として現在に至るまで勤務しているが、昭和五九年四月頃、バーでホステスのアルバイトをしていた当時千葉と知り合い、同年一一月頃から電電公社の社宅で、その後昭和六〇年二月頃からは仙台市荒町所在のマンションで、同人と同棲していた。当時原告佐々木には長男和彦がいたが、和彦は当時原告佐々木の実家に預けられていた。

(二)  千葉は、原告佐々木と知合った当時は株式会社アベックスに勤務していたが、昭和六〇年三月一二日に交通事故に遭い、同月一四日河村外科にて頭部外傷後遺症候群、頸椎捻挫等の診断を受け、その後同外科に入院し、退院後も通院を続けた。千葉は、アベックス勤務時は手取で約二〇万円の給料を得ていたが、昭和六〇年七月からは労災保険金を受給することとなり、同年一〇月一杯でアベックスを退職した。その間、昭和六〇年七月四日原告佐々木と千葉との間に豊が生まれた。

(三)  原告佐々木は、昭和六一年四月長男和彦を仙台のマンションに呼寄せ、その後は同所において原告佐々木、千葉、和彦及び豊の四名が同居していた。なお、千葉は、和彦が死亡した同六一年九月五日当時はいまだ職には就いておらず、労災保険金の受給を続けていた。

(四)  昭和六一年七月初め頃、千葉は原告佐々木に家族全員の保険に加入することを勧めた。原告佐々木は、自分も含め子供達にまだ保険を全く掛けていなかったので、千葉の勧めに応じて全労済の「こくみん共済」に加入することとし、同月四日、千葉とともに右加入手続の窓口であった七十七銀行荒町支店に出向き、手続をした。右加入手続に当り加入申込書に所定事項を記入したのは原告佐々木ではなく千葉であった。

(五)  千葉は、昭和六一年八月二一日、被告との間において、原告佐々木に無断で、保険契約者を原告佐々木本人とし、被保険者を和彦一人とする本件保険契約を締結した。

(六)  同年九月五日午後、和彦が行方不明となり、翌日仙台市内の広瀬川の浅瀬で水死体で発見された。その後原告佐々木は、千葉が和彦死亡の約二週間前に、和彦を被保険者本人とする本件保険契約を、自分が知らないうちに締結していたことを知った。右事実を知った原告佐々木は、千葉が保険金目的で和彦を殺害したのではないかとの疑いを抱くようになり、その結果、原告佐々木と千葉との仲は険悪となった。

(七)  同年九月二二日頃、原告佐々木は千葉に別れ話をしたところ、千葉から激しい暴行を受け、二三日頃、千葉から結婚届に名前を書くよう迫られた。そこで原告佐々木は千葉との婚姻届に署名して千葉に交付したところ、右届は千葉によって同年一〇月三日宮城県泉市役所に提出され、受理された。これに対し、原告佐々木は、届出の意思がないことを理由として、同年一〇月三日宮城県栗原郡築館町役場に婚姻届不受理申出届を提出したが、婚姻届の提出が時間的に約三時間先行したため、婚姻届不受理申出届は無効となった。そこで原告佐々木は、千葉を相手として同年一〇月一四日仙台家庭裁判所に婚姻無効確認の調停(仙台家庭裁判所昭和六一年(家イ)第六〇五号)を申立てたが右調停は不調に終わったため、同年一一月七日仙台地方裁判所に婚姻無効確認の本訴(仙台地方裁判所昭和六一年(タ)第八六号)を申立てた。

(八)  原告佐々木と千葉との仲は昭和六一年九月末頃に至って決定的に破綻し、別居状態となった。そして両名の間の子である豊をめぐって紛争が生じ、原告佐々木は先のとおり結婚無効確認訴訟を提起するとともに、昭和六一年一一月一七日仙台地方裁判所に対し千葉外一名を拘束者、豊を被拘束者とする人身保護請求、すなわち別件争訟を申立てた。

(九)  別件争訟において原告佐々木は、千葉が無断で被保険者を和彦とする本件保険契約を締結した上、暴力を振いながらも原告佐々木との結婚を迫ったのは、和彦に掛けていた保険金を手に入れるために違いないと考え、その根拠として右(二)ないし(七)に判示したのとほヾ同じ内容の事実を更に詳細に縷々主張し、或いは陳述した。

以上のとおり認めることができる。

右認定事実に加え、本件訴訟における原告佐々木の本人尋問の結果、とりわけ、被保険者を和彦一人とする本件保険契約の存在を根拠の一つとして、現在でも和彦は千葉に殺されたと思っていると明確に供述している事実及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告佐々木としては千葉が保険金騙取という不法な目的をもって被告と本件保険契約を締結したのであり、和彦は千葉により保険金騙取の目的で殺されたのだと考え、本件保険金契約は保険金騙取という不法な動機に基づくものであるとの認識を有していたというべきである。原告らはこの点につき、別件における原告佐々木の主張及び陳述は、あくまでも推測の域を出ていないものであり、豊を千葉の許から取り戻そうとして感情的になって主張し、陳述したにすぎないと主張するが、原告佐々木が本件においてまで先に指摘したとおり明確に供述していること及び千葉の態度、行動が原告佐々木に不信をいだかせるに足りるものであることに照らせば、右主張を考慮しても右の結論は些かも動かされるものではないということができる。

2  そこで判断するに、客観的真実はともかくとして、具体的事実に基づいて内心では当該保険契約が保険金騙取という不法な動機・目的の下に締結されたものであると考え、別件においてとはいえ一旦は裁判所に対しそのように明確に主張し、かつ立証活動を行ったにも拘らず、本件訴訟において一転して、当該保険契約が右のような目的をもって締結された契約ではないとして追認の意思表示をなすのは、単に別件争訟と矛盾する主張及び陳述を行っているというにとどまらず、自ら内心では不法な利益であると考え、かつ公の場においても同様に主張した利益に与かろうとするものであって、追認の濫用であると言うべきである。したがって、右理由により、原告佐々木がした本件無権代理行為の追認は権利の濫用に該当するのでその効力を認めることはできない。本件追認が権利の濫用であるとの被告の抗弁は理由がある。

三よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本件請求は理由がないことに帰するのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小林啓二 裁判官吉野孝義 裁判官岩井隆義)

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